助産師の私が、一人目育児でノイローゼになった話【前編】

こども雑記

先日、生後2ヶ月の赤ちゃんにお会いする機会がありました☺
ご出産されたのは、以前とてもお世話になった助産師の先輩。嬉しくて意気揚々と出産祝いを持って訪問させていただきました。
一人目のお子さんを抱く先輩。慣れない2ヶ月を試行錯誤して過ごしていたそうです。
「初めてだから、色々教えてね。」と。
助産師としての経験は私よりも豊富なのに、そんな風に後輩に言える姿をみて、私に足りなかったのはこんな姿勢だったんだなぁと、ふと自分の一人目育児を思い出しました。

私のとても苦い一人目育児、思い出のお話になります。

出産までの私と、夫さん

昔々、私が産婦人科で沢山のお産をとりあげさせていただき、助産師としての経験も増え、脂がのってきた頃。
結婚して2年が経ち、待望の赤ちゃんがお腹に来てくれていました。
(妊娠中もなかなか面白エピソードがありますが、それはまた今度のお話。)

その頃、夫さんは仕事で出張が多く(遠い場所でした)、一緒に過ごす時間も少なく、出産予定日前後で転勤があるかもしれないという話が上がっていました。

私は妊娠中心身ともに不安定な時期もあり、できるだけ家にいてほしいと思う反面、正直なところ「出産や育児はきっと大丈夫」と心のどこかで思っていたので、引き止めるようなこともなかったのかもしれません。
育児に慣れてきたら夫さんの転勤先へ引っ越すつもりだったこともあり、なんとかなるよ!と軽い気持ちで仕事を頑張る夫さんの背中を押していたんです。

その後、妊娠後期になると、噂通りに夫さんの転勤確定。なんと出産予定日の1カ月後の日付
産んで1カ月しか一緒にいられないのか!とは思いましたが、1カ月は一緒にいられるし、今はテレビ電話もあるし、大丈夫だろうと思っていました。

出産の喜びと、すぐに訪れた孤独

予定日前に無事出産。初めての我が子を抱いた瞬間は、本当に幸せでした。

エコーで見ていた小さな手足、小さな泣き声。

あ、私の赤ちゃん
「やっと、会えたね」
と、震えながら言葉が出て、汗だくの体で抱きしめました。

助産師として何度も見てきたはずの光景なのに、自分の子を腕に抱くと全く別物で、「この子を何よりも守っていこう」と強く思いました。

そして、私は自分の実家で育児をスタートしていきます。

実家では、日々の料理こそ私の母にお願いしていましたが、基本的に育児の手伝いをお願いすることはほとんどなく、一緒に過ごせる1カ月を夫婦2人で頑張って過ごしていました。
今ほど父親の育休制度は浸透しておらず、夫さんは朝から夜までばっちりお仕事だったので、日中ワンオペが基本。帰宅後にタイミングが合えば沐浴をしてもらうという毎日。

ただ、それでも3人での生活は充実していて、夜は夫さんに日中の赤ちゃんの話ができたり、可愛いねと寝顔を見られる日々は、しみじみ幸せだなぁと感じていたんです。

そして、約束の1カ月後、出発の日。

「行きたくない、離れたくない」と、話しながら夫さんは出発。私も涙のお見送り。
離れ離れの生活が開始。


痛いおっぱいに、眠れない夜、買い物や外出もままならない日々。

「助産師だからできるはず」
「私なら乗り越えられる」

そう自分に言い聞かせながら、誤魔化し誤魔化し、何とか一日を乗り切る。
自分でも自覚しないうちに、どんどん心はいっぱいいっぱいになっていたんだと思います。

毎晩泣きながらの抱っこ

夜は、なんとも辛い時間でした。

夜になると不安が一気に押し寄せる。真っ暗な部屋で、泣き止まない赤ちゃんを抱っこしながら、私も涙が止まらない。時計の針が深夜を回っても、2人だけの部屋に赤ちゃんの泣き声が響いています。何度頭がおかしくなるんじゃないか、と思ったのかわからないくらい。

そうだ、夫さんに電話しよう。と思っても、転勤先で頑張っていたのでしょう、夫さんも電話に気づかない、タイミングが合わない日も少なくはありませんでした。

「もう無理かもしれない」
「一生これが続くんだ」
頭に思い浮かぶのは、暗い暗いトンネルを懐中電灯もなく、ただ歩き続けるイメージだけ。

助産師だからこそのプライド

特に苦しかったのは、「助産師なのにうまくできない」というプライドだったのかもしれません。
助産師の夜勤中は、ずっと泣き続ける新生児を抱っこして過ごすこともあったので、できるできると自分に言い聞かせていました。

現実は…。

毎日毎晩、泣き止まない我が子。抱っこしても、授乳しても、おむつを替えても泣き止まない。2時間3時間と抱っこし続けることもありました。
肩や腕は痛くてガチガチ、右手はばね指になっている。それでも置くと泣くから下ろせない。泣かせちゃいけない。
泣かせていたらお隣さんになんていわれるだろう。


「なんで泣き止まないの」
「助産師なのに、私はなんでできないの」

頭では、「赤ちゃんは泣くのが仕事」とわかっているのに、気持ちがついて行かない。プライドが邪魔をして、だれにも弱音を吐けませんでした。心の中では、何度も叫んで、涙が溢れて、情けなくて助けてほしい気持ちでいっぱいだったのに。

頼れない、頼らない自分

夫さんが転勤になってからは、親に頼ることもほとんどしませんでした。

「迷惑をかけたくない」「できない自分を見せたくない」
他に、親世代の育児アドバイスを苦痛に感じていたこともありました。

「泣かせておけば強くなる。抱き癖がつくよ。」
「もっと厚着しなくていいの?靴下はかせたら?」
「ミルクもっとあげたらいいじゃないの」

そんな言葉に、心がざわざわしました。今の育児とは違う考え方だとわかってはいても、言われるたびに責められているような気持ちになってしまう。だから距離を置いてしまったのです。

結局、頼る人がいないまま、私一人で抱え込むしかありませんでした。

泣きながら過ぎてしまった日々

今振り返っても、あの頃の私は必死でした。毎日をどう生き抜くかで精一杯。赤ちゃんの泣き声に合わせるように、自分も泣いていました。
助産師なのに、母としては全然ダメ。そんなふうに思い込んで、自分を責め続けていました。

次回へ

ここまでが、私の出産後、ノイローゼに陥ったまでの記録です。今思うと、産後うつになっていたんだろうと思います。

次回【後編】では、そんな状況から少しずつ気づいたこと、学んだこと、そして今だから伝えたいことをまとめてみたいと思います。



もし、同じように悩んでいる方がいたら「私もそうだったよ」と伝えたい。
どうか、一人じゃないと知ってほしい。
















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